こんな言葉があったのか と驚いた。
ネットでは以下のような意味と説明があった。
痛覚に快さを見出すような感覚を表現する言い方。 痛さが不快ではなく、あるいは不快ではあるがそれ以上に、爽快・痛快である、といった意味合いで用いられる。
80歳になり、自分の死も近いので、亡くなった方々に思いを向けることが多くなった。
妻の健康状態から墓参はできないが、命日には自宅で花をかざって、感謝をあらわしたい。
父母弟、妻の父母兄、姪の8人である。
親しかった 功、神品さん、鈴木さんなども、ときどき思い出すこととしよう。
4月7日 N青木さんから電話があった。元気そうであった。感謝!
毎月1回電話をしようと思った。
2013年5月2日に米沢で青木さんに会って以来の会話である。
妻も青木さんと話し、いろいろ迷惑をかけたことを謝罪でき感謝である。
大根おろしを使って、洗って片づけた。
洗い桶に入れた。
でもそれが探せない。
夫婦2人で探したのだが見つからない。
少し間をおくため、数独を一題解いた。
その後探したら、洗い桶に縦においてあるのに気付いた。
老いると、ものを探すのも大変になるようだ。