カナダで:
ガス室で殺された人々の遺品から
貴重品を取り出す写真を見た時、映っている
赤ちゃん子供老女たちがすでに殺されている
と気付きました
幸せそうな家族写真を眺めていると
罪なき人が毒ガスで殺されたと知っていることを
なかなか受け入れられませんでした
母 エルフリーデ
私のグループからも
衰弱していた40人の女性たちが選別され
ガス室で殺されることになりました
その中に私の母親もいました
私は母に別れを告げようと駆け寄りました
その場にいたナチスたちは
私が二度と母に会えなくなると知りながら
別れの言葉も言わせてくれませんでした
私を叩いて母から引き離しました
最後のお別れもさせてくれないなんて
なんと非道なことでしょう
(エバの母は生き残る?)
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1944年ナチスドイツ終焉
1944年1月17日 ワルシャワ解放、生き残った人7000人
バラックの中には沢山の死体がありました。
自力で外へ出さなければなりませんでした
数日前に言葉を交わした女性の死体もあり
突然彼女たちが骸骨のようになったのを
目の当たりにしつらかったです
目の前の死体を埋葬することさえできませんでした
バラックの裏に積み上げていきました
今でも頻繁にその光景が目の前に浮かびます
恐ろしい体験でした
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エバ、母 オランダに着く、父、兄が終戦間際に死亡
アンネの父親オットーフランクと会う
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彼オットーフランクは言いました。
「私は着ている服以外何もかも失ってしまった」
彼は日記を私たちに見せて
「読んで聞かせてもよいか」と尋ねました
でも 彼は数行読むと胸がいっぱいになり
涙が止まらず読み進めることができませんでした
アンネの日記: 1947年オランダで出版
「日記」にはすべてが書かれているわけではありません
反響に怒りを覚えることはありませんでしたが
世間は「残虐な出来事は知りたくないのだ」と思いました
その気持ちは理解できます
だだ なぜ人々が隠れ家の話のみに興味をもつか分かりません
それ以上の内容には踏み込みたくはなかったのでしょう
ホロコーストについて学校で学ぶこともありませんでした
まだ触れたくない時期だったのだと思います